〇言語の向き不向き

 

暑いなあ、そんな時には海の歌。

楽しいなあ、そんな時にはアップテンポ。

 

適当、適性、適職、適度、適温、

「ぴったり」を示す「適」

ものにはそれぞれ「ぴったりの場所」があり、理に適うときもあれば

何故だかわからないけどしっくりくることもある、不思議な現象です。

 

ーーーーーーーーー

 

私は言語自体について詳しく勉強をしたことはないのですが、

英語ではない言語を勉強してから、とても実感していることがあります。

 

「個人に合った言語はある」ということです。

 

私の場合はフランス語でした。

それよりも断然長い時間英語を勉強させられていたはずなのに、

自分が話すときに、そして聞くときにパズルのような感覚で

いろいろな部分でスムーズに運ぶ、と感じたのです。

 

「言語が好き、得意」っていったい何?どこから来るのだろう。

 

 

前述の体験は同言語に対して万人が体験するわけではなく

私が全く関心を持たない言語に「これだ!」と憑りつかれる人たちがいる。

一言でいえば「何語が好き」ということなのですが、

身体的(舌や口内)に扱いやすいなどの構造に関するものや

脳や耳が反応する…

(耳が喜ぶ、というのが一番おもしろい現象です)

追及していくと、個人が生まれながらに持った条件によって、ある程度の学ぶべき言語を予測することが出来るのではないかと。

 

私がフランス語に感じた部分

①活用=効率

→英語の勉強でつまずきを覚えた「もうどれでもいいよ」という熟語や過去形に対する異様な拒否感、生理的に無理、といえるほどの苦手意識がありました。

それが基本的に元の動詞の形を変えるという作業で大半を補うことになるのでよりシンプルな文章になります。

 

②アクセント位置の決まりが無い

→フランス語が流れるようだと言われる理由もここにあるかもしれません。

強く読む位置の制約がない為、ダイレクトに感情が伝わってくるようです。

 

③語尾のクセ

→doncのあとの吐息のような部分、beaucoupなどの「ウ」で終わる単語のあと、一息つくときの少し音が下がる部分。

アルファベット外の音が多く、音楽的です。

 

今すぐに思いつくのはこのくらいです。

結果フランス語の特徴を列挙するものになってしまいましたが

 

今回この文章を書いた理由は、

同じように何か好きな言語があるひとに

それは皆共通の感覚ではないから、ぜひそのたまたま持ち得た「好きだ」

という現実を大切にしてほしい

と、なんらかの勇気や気づきにれればと思ったからです。

 

言語と身体の関係から統計を得て適切な言語を学ばせるようにする

というのはどこかで見た「運動能力からスポーツの適性を…」の件に似て

必ずしも本人にとって幸せかどうかはわかりません。これは何にでも当てはまります。

 

だからこそ、もし自分好きなものが感情レベルを超えて「体が受け取る様子を見て」合っているかもしれないと感じることがあれば

細くでも続けてゆくと、財産になるのだろうと思います。

〇季節って、私たちにとって何だろう。

かれこれ前回から数えきれない日数を経ての投稿です。

自分でも驚くくらいのまめで無さ。

そして、のちに自分の書いたことを見て

「あんなこと思ってたんだ」ではなく

「あんなこと思ってたんだ…」となぜか落ち込むことが多いので、

正直ノートに書く日記よりも相性が悪い気がしています汗

ですが自分がその時々に思っていたことに、しっかりと向き合うことへの訓練だと思って

続けていこうと思います。

 

_____

 

最近、突然暑くなって、豪雨で。

少し前までは「あれ、今年は梅雨は無い…?」と何事もなかったかのように過ぎてしまうところでしたが、

そんなことは全くありませんでした。

 

一年で最も好きで嫌いな季節。始まるのも、終わるのもさみしい夏。

季節には一人一人違う好みがあって、恐らくその狭間に抱く感情も様々でしょう。

そしてその感情はその人の「感性」に影響を与え、影響されていることもあるのではないでしょうか。

面白いです。

 

ところで季節は、万人共通のものではありません。

 

もちろん日当たりが良いハワイやスペインに住む方と

日当たりの悪いロンドンに住む方の逸話というか、イメージはわかりやすいものですが、

 

もしかすると季節の間に、普段何気なく持つような哀しみ、不安、高揚、または「無」

 

そういったものが個々の「感性」として蓄えられていて、例えば芝居、歌、踊り…

それらの表現の場に、各国の民謡や伝統芸能と同様のアイデンティティとして

垣間見ることができたら

とても感慨深いと思います。

 

様々な環境に在る人物を集め、季節に関する価値観の違いだけに注目したとき

何か、違いが見つけられるのか。

 

漠然とした問いですが、

言葉にしてみると単純もの過ぎないのですが、

ちょっと興味深い、ただの好奇心からの疑問です。

 

自身が季節に本当に影響をうけやすいため、

季節が1種類の季節の国に生まれていたら。

歌や踊りで自分の感覚を外に出すことが好きですが、

それはどこに影響が出るのか。

 

考えて答えが出るものでもなく、堂々巡りですが

たまに

「このパートは冬に入る感情」

など取り入れると、いつもと違った動きを自分の体がするのではないかと。

 

 

自分が知らず知らずに作り上げた表現の素を探し出す。

自分の感覚より、人の感覚の中にどんなものがあるのか

見ていく作業も楽しそうですね。

 

 

実は本日、全く違う題材で書こうとブログを衝動的に立ち上げたのに

考えながら書いていたらひとつ書き終えてしまったので

今日はここまでにします。

 

書こうと思っていたことも些細ではありますが、またの機会に。

 

 

ブログ開始


2つ目のブログ


ブログは、いつもなにを書いていいかわからなくて

続かなくて放置してしまうことが多いので、



今度は心機一転、新年、日記みたいに長く記していけるものになればいいと思う。 


自分の思ったことの整理のためにも。


今日は寒い。本当に寒い。雨も降っていて、本当は休日だから出かけたい…気もしたけどお昼から早々部屋篭り。

前世自分、一体どんな生き物だったのかな、、