「頑張る」より「頑張れる」の方が近い。
タイトルづけ、全然うまくないので伝わるかな…
今日は、頑張れる!頑張る!ということについて。
個人的に、ずっと抱えていた劣等感、というか悩みズバリ「頑張れない」。
もう…頑張れないよ…というとは違い、何に対しても関心が低いとか、
こんな事が上手くなりたい!とか、あの人に憧れるとか…
これらは、持つ人は何の疑問も無く感じる”意思””気力”で、持たない人は本当に自然に、もたないものなのです。(私出典)
「あの子もあの子も、人々はいつも人に対し気を遣い、走り、勉強もして、髪もきちんと乾かしてボディケアもして、快活で姿勢よく、家もきれいで家族との関係も良い。」
…なんていう芸当なの?!絶対死ぬでしょ?!這いつくばって生きていて、私と会う時は笑顔を絞り出して帰宅したらぐったりしてるんでしょう…そんなこと私には出来ない。そんなことではいつかガタが来るはずだ。
本当にそう思っていました。今でも少し…皆、本当に凄い。
それで、「取り組む」となれば単に楽しむ~下手だけど皆に会いたいから行く!とか、上位を目指すとかじゃないけどとりあえず居る~うぇ~い帰り飲みいこ~
といった「居かた」が出来ず、出来ない。足手まとい。みんな優しくしてくれるけど、多分惰性で大人の対応をしてくれて、やっぱり試合で勝てない私はこの部活、団体に居てはいけない。
と迷惑ながら本当に辞めたり…何故か知らないけれど、
何でも全力で楽しむ!なタイプではもともと無いくせに、そうで無いじぶんという存在が足手纏いでもはや不思議なくらいでした。どうして自分は、他の子みたいに笑顔でいろんなことが出来ないんだろう。病み期なんかじゃなくて純粋に疑問でした。
これなんかあるのか?みたいな。
(書いている今はちょっと涙出てきた)
***
それで、急に話は進展しますがここ数年、実はかなり「頑張れて」います。
頑張る=have to なイメージだと、頑張れる=can/possible です。(合ってるかな?)
がんばる、というのは何というか、気力の限りを尽くしてどんな不調にもめげず、血管を浮かせながら歯を食いしばり、自分の中の悪魔と戦う ことだと思っていました。
掃除をきちんとしている子→どんなに眠くても義務感で掃除をしてる。
キビキビと動く子→心拍数、私の何倍?
勉強を頑張っている子→だめだ…そんな中に入れない
毎日のルーティンを守る→修行僧か
…たとえが微妙ですが、とにかく彼らの原動力は”義務感”だと思っていたんですね。
ところがいざ「あれ?これ頑張ってるって人からは言われるかな…?」という、
自転車で30キロ走ったり、早朝パンを焼いたり、ストレッチを毎日する、おいしい食事を作る、何時間も同じ課題に向き合う…
こんな事は以前ならまず動機が無いもので、取り組む気配もありませんでした。
が、今実際に自分の興味からやってみると
全然。全然。「頑張ってる」という感覚は無くて、
反対に「ちょっとここまで来たらもうちょっと続けてみるしかないよねこれ…え、25時?ちょっとまとめてまた明日やろ」
みたいな!!興奮!!!何にってこの心情の変化に!!
ふとそれが終わって、「え~なにそれすごいね…」と言われて初めて
あぁあの時私は頑張れていたんだなあ、と思うのです。
よく「継続は力なり」といいますが、ちょっとの時間でも「もう少し折角だから頑張っちゃおうかな!」というエネルギーは、必ずしも努力して出しているわけではないんです。勿論筋トレなんか実際に汗びっしょで…まあ…頑張る、というシチュエーションもありますが、それだって毎度人生辞めたくなるような精神状態なわけではなく、
あくまで終わった後「っしゃ今日昨日より何センチいけたあ~来てる最高来てる明日もやるしかない」的な。おのずと体力もどこからか出て来て、思いもよらない自身の行動が見られたりするんですね。
要するに「楽しい」の感覚。
頑張れない、と自分の事を責めている人にとってはこの「楽しい」の感覚をしっかりと表出させることが、とっても重要じゃないかと思います。
思い返すと私はあんまり爆笑もしない、喜びも薄い、子供ながらに何のために生きているのか判らない…小学生の時の好きな歌手も、なりたい職業も、今日帰ったらこれするぞ!のモチベーションも無くて引っ込み思案で目立ちたくない
習いごとや学業、知的好奇心すべてを他人に預けっぱなしのようなもので
それが十数年経ち、今ではなんでも食べてみたい、これ自分で作れるんじゃないかな?、知らない人と会うのも好き、旅行も知らない土地に急に放り込まれるのもワクワク血が騒いで。必要があれば雨の中自転車で疾走し、旅先で知り合いを作り、
とにかく新しいことに挑戦…というとまた語弊があるのですが
やってみる。できない。うける!超難しい!ちょっと寝る時間消えてもいいや、もうちょっとやってみよ。
っていま自分の楽しんでる時の感情を思い返して、ひたすら自分得な言葉を羅列してしまいました汗
こんな感じなんです!
絶対に断言できる、10年前までの同級生に会ったら体型から驚かれるだろうな、と。
完全にポジティブ人間、パリピ!になったわけじゃ全くないけれど
とりあえずいろんなことに積極的に関われるようになったのかな…と時たま哀愁に浸っています。
頑張る。といういわば呪縛ではなく、自分だけを見て「面白いな」「もう少しこれについて知りたい」という強迫観念抜きの、頑張れている状態は非常に大切です。
人生の中で一度でもこういった自分の「好奇心」を見ることが出来て、良かったなと心より思います。