「最近の若者」について、最近の若者より。 ※長文
責任感、忍耐、意欲が無い、前に出ない。。。
よくささやかれることです。
最近の若者、について、どう思いますか?
どんなお考えをお持ちでしょうか。
そして先輩方、ご自身の時代を振り返るとそこにはどんな風景がありましたか?
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思うこと。
若者、優しすぎる。
若者、まじめすぎる。
まだ若者の私ですら、ふと心配になるほどだ。
最近の~というのは主に企業内での話であって、不思議と年齢に大差ない学生時代には、特定の「文句」を耳にしない。
皆最低限「普通」に「問題なく」終えるべく日々の努力をしている。
社会に出た途端に責められ始める。そのギャップが大きすぎる。
昔は例えば運動をおこしたり、反社会的な歌を歌ったり、ということを10代からしていたよう。
一方問題に対して「社会問題といわれる行動」を起こさず、小学校時代よりとかく教師のいう事を聞き、厳密な回答以外を否とする算数に頭を悩ませ、家に帰ればせいぜい話す大人は親位であり、外遊びにも制限多く、、
こんな条件を羅列しただけでもどんな人間が出来上がるか想像も容易い。
そんな風にして自由の翼を一枚一枚抜かれながら過ごしているのに、
彼らは優しい。色眼鏡なしに、あらゆることにまじめに取り組む。
試しに例を出すと(くだらないかもしれないが)
①合唱コンクールや運動会の為の朝・放課後練習に来ない男子学生を男子学生が説教(マジ切れ)
②高校卒業式後の飲酒など、選択肢にすら入っていない
③修学旅行で男女問題なし、普段の学生生活でも「更衣室が」なんて話は聞いたことが無い
④けがをしてきたと思えば、自転車でこけた、自転車に足を挟まれた、、、
もっと皆に誠実でありたかったと後悔にやまない、これらは全て単なるイチ公立学校での風景です。
今まで「最近の若者はなんだ」と言いがちだった方、
逆に心配になりませんか。私は今こうして学生生活を見返して、少し「キレイすぎるな」という感想です。
潔癖であること、完璧であること、一つの答えを導かなければならないこと。
時代は、世論は「多様性」を叫ぶのに
反して教育の現場は未だに、声に出さず「こうであれ」と囁き、
またそれを無抵抗に受け止める生徒たちの存在があります。
少し反抗的であってもあくまで周囲の人間に対するモノ、社会を憂いたり情勢に一石投じるようなものとは方向が違います。
子供たちが突然変わったのではありません。
子供を大きくする環境が変わったのです。
子供たちの意欲がなくなったのではありません。
気力の使い道が変わったのです。あるいは何としても生きようとする意志の、育つ余地が少なかった。
ただし若者がすぐに辞めてしまう現状に関しては、強く同意します。
しかしその兆候は、研修時代からでしたか?誠実に取り組みそうだから、採用したのですよね。
恐らく最初は背筋をピンと伸ばし緊張した面持ち、「ハイッ、ハイッ」と過剰なほどの相槌を打つ姿が在ったのではないでしょうか。
それが何故、何も相談せず仕事を抱えたまま、出社しなくなってしまうのか
不可解なことでしょう。大変な迷惑にもなります。
結論として言いたいことは、
最近の若者は劣っているわけではありません。
怠けているわけでも、何も考えていないわけでもありません。
今までの根性論に対してあまりに繊細すぎる、のでしょうか。
きっとその子に合った活き方はあります。
ただ自信がありません。
役に立ちたいとは思うけど、どんな形でなら役立てるのかわからない。
もはや異文化を持つ違う人種とし接し方を変える、と良いのかもしれません。
その為に冗談ではなく「何を考えているのか」聞き出すことも助けになるでしょう。
実は日々気を付けていることは何か、どんな時に喜びを感じるのか、苦手なことは何か、等。
己の内面は、外に出しつつ吸収し直しつつメンテナンスを加えて「自分」というものに作り上げていきますが、本来それは思春期と呼ばれる時期に躍進するモノでしょう。
情報にあふれながら行動できない自分の無力さを呪い、
規則には洩れんとする学生時代を送ってしまったアイデンティティは、もはやカオスです。
※私事です
自主や挑戦力のなさ、、もう社会問題ですね。
自ら起こさずとも存在自体を現象としてしまう。
最終的結論として、
怒りの矛先をひと息に「人格」へ向けないでください。
なぜこうもストレスに弱いのかと藁にも縋る思いであるのは、他でもない彼らでしょうから。