〇銀座区立小学校制服について、経験を交えて〇

 

 

小学校、記憶のかなたに飛んでいったかな?と思いきや、まだまだいろいろなことが思い出に残っているものですね。些細な面倒だったこと、些細な感動したこと、些細な傷ついたこと、感謝したこと

私は町中に立つごく普通の区立小学校で育ちました。特に有名人がどうとか、何に特化しているとか、そんなこともあったかなかったのか判らないくらい普通に住宅地に溶け込むいち小学校。そんな環境でも、瞼によみがえる経験は数多くありました。

 

今巷と国会で話題になっている「アルマーニ標準服」案件。

あまり周囲の意見は聞いておりませんが、皆さんはどんな風にこの決定を受け取られたのでしょう。

 

個人的には、あまり芳しい決断ではありません。というより、校長が制服に何を求めるかという所に共感できかねるのです。

 

※まず前提として「標準服」とは本来着ても着なくてもいいよ!という物です。が学校という現場で予想される通り、私の中学生時代は100%が着用する当たり前の存在でした。まして入学を考える価格となれば、その中で自ら非着用を敢行するにはかなりの覚悟が要ります。

 

 

ーその価格もさることながら、高価な制服を導入することで小学生の所属意識を高める

方針に疑問を持ちます。

 

まだまだ体を育て、同時に周囲との関係をはぐくむのに忙しい時期にどれほどの子供たちが、制服や学校に対する誇りを持ち得るでしょうか。私に関していえば先生、様々なバックグラウンドを持つ友人から得る世界、独自の授業(ハンディキャップの疑似体験等)は特に貴重であったと思っています。

何ならばちゃっかり先生がバッグにお菓子をたくさん詰めていた(事故的に判明し、はぐらかされ決してもらえず)ちょっとアウトな思い出すら、先生を身近に感じさせてくれた一コマでした。

 

これでも何のブランドも持たないただの小学校です。

 

あれほど公に誇れるような小学校なのであれば、きっと学習要綱面で試行錯誤されているでしょうし、それを求めていらっしゃる親御さんもすでに多いのではないかと想像します。

 

校長先生はご自身の小学校時代何を大切にし、今何を伝えたいとの思いをお持ちなのでしょう。もしかしたら決断を焦ったのかとの推測もします。

 

今後、大人子供かかわらず何かを教え、支える立場となった時自分は何を残したいと思うだろうか。何にお金と想像力を注ぐべきか。久々に想像を膨らませました。