〇運か努力か

「オイコノミア」というNHK番組で

運か、努力どちらが作用するのかというテーマを扱っていました。

 

努力か才能かという対比はよく上がります。

 

…そもそも、運とは?

 

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運がよかっただけだよ!   という謙遜

運がよかったからだ     という僻み。

 

運とは測り用が無いものです。

 

何故運という、どのようにしても目に見ることができないものについて

何かを委ねたり、帰化させたりしようとするのでしょう。

「運」だと結論付けたところで、どのようなメリットが生まれるのでしょうか?

 

番組の中で、

結果を「運」だととらえるほど利他的になり得る

とあり、視点に感心しました。

 

 

生の中に「運」を取り入れるのは人間だけです。

運という物について一種、信仰や神格化が行われているのかもしれません。

他の生物には生き残るという結果しか存在せず、

人間社会の複雑で生物の本能を超越した仕組みがあるからこそそこに

「運」の要素が生まれたのでしょうか。

 

 

今回のテーマについてわたしも常々思うことがあります。

そんなことを言ったら、すべてのものは運に依っているのではないかと。

 

努力を出来る環境に生まれたこと、努力をするという思考を持てたことが運である。

こう考え、こう在り、こう動き、こう語ろうと考えることが出来る

そのような状況は、一体何が作りだしているのでしょう。

 

一種ニヒリズム的な部分もありますが、

全てが運なのだからと悲観するのではなく、

むしろもっと、「運」とは意識をし大切にするべきものだとおもうのです。

 

例えば「自分がこのような機会を得るなど勿体ない」

という罪悪感や、

「自分がこのようなことをして周囲にどう思われるか」

という不安が出来たときに、

私にはこのような運が与えられたのだから、そのままで良いのだ。

と少し客観的に考えることが出来たら。

 

すると、この得られたものを周囲に還元しようと思え

自分の状況に対し、感謝の目を向けることができるのではないでしょうか。

 

運に 罪悪感、劣等感、驕り、諦め などを結び付けず

 

自身を見つめなおす為に、大切に持ち続けるべき概念だと感じます。

 

以上です。