○怒られないいい子=劣っている??(主観)
今日は「怒られる」ことについて。
私自身の感覚を織り交ぜて描いていきます。
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最近の若者は怒られるとすぐに逃げ出す、とはよく聞くものです。
私もまだ「若者」の側で、実際怒られることに対しては本当に耐性がありません。
なんでここで??と自分でも思う場面で、
涙が出ることがあります。
ところで怒られることに弱い理由としてもっとも大々的なものは、
「怒られ慣れていない」から。
親や先生に甘やかされてきた。
この場合、文面上本人以外に責任転嫁されているように見えますが、
現実に「耐性」の欠如を叱責されるのは若者自身でしょう。
「これだから最近の若い奴は」ですね。
話がそれました。
私は、怒られた経験云々よりも
「怒られたとき、その言葉を冷静に判断出来るかどうか」
つまり、
「こいつ何言ってんだ」力が大切なのではないでしょうか。
相手から何を言われても、自分の(健全な)価値観を通し
言葉を吸収することができるかどうか。
その反対は「相手の言葉をすべて鵜呑みにしてしまう」です。
すべてが正しいと思ってしまう。
そのため、理不尽な叱責も受け入れ、正当な指摘であってもまるで
「ダメなやつ」だと人格否定されたように感じてしまうのです。
この感覚は、わかる人には本当にわかり(無意識下かもしれませんが)
他方にはまったく理解できない感覚だと思います。
注意されただけで、人格否定?被害妄想激しすぎない?面倒臭いなあ。
そう思うでしょう。
何故、そのような思考になる・・・?
わたしは若者全体に「いい子気質」が漂い、大いに関係しているのではないかと感じます。
自尊心や自己信頼感の構築に関して。
学校では目立った問題もなく、行事には積極的に励み、協力し、歯向かわず、必ず玄関から登校し、修学旅行も何事もなく、、、そして本当にやさしい。
深夜コンビニ前でたむろしている様子は見かけなくなりました。
少なくとも私の周囲ではこのような感じです。
これは私の親世代と比べてどうなのでしょう。
いうことを聞く。問題を起こさない。仲がいいことが一番。
家庭に関してはそれぞれなので何とも言えませんが、
学校という場では確実に生徒の鎮静化が起こってきたと感じます。
上記を見て、どのような人間像を思い浮かべますか?
弱い人間、甘い人間、怠惰的人間、、このような言葉は適切でしょうか。
むしろ大した反抗をせず枠にはまり、怒られないよう、手こずらせないように過ごしてきた世代
代わりに「自主性」「自尊心」「自我」そういったものを強く得ずに
波風立てずいい子に、KYにならないように気を遣ってきた。
まずその健闘を称えるべきではないかとさえ感じます。
怒られて泣くとき、私の場合
・怖い人がいるよう
・ムカつくよう
・泣くから許して
ではなく
・自分に対する失望
・不出来の再認識
・悔しさ
・見限られる絶望
のようなものが渦まき、自然と泣いてしまいます。
今から私たちに出来ることは、自分の決定に責任を持つこと、冷静に判断すること、すべて受け入れるよう意識すること。自我を確立する(方法はわかりません)。
そして
怒っている相手に対しイライラしてしまう場合、
普段のモチベーションがどうかを考えれば、その涙がどういうものかわかるでしょう。
さらには
「部下なりにどのようなことをやりがいとして働いているのか」
の部分をしっかりと聞いてみる上司になりたい、と思います。
涙がでてしまう=悔しい=自分なりに努力した部分があった
ということです。
これらはすべての場面で当てはまるわけではありません。
最近の素直で泣きやすい若者は「やりがい」を大切にする傾向が強いそうです。
うまく育てばきっと貢献します。
役に立つ存在になりたいと誰よりも強く願う層なのではないでしょうか。
参考になればと思います。