「頑張る」より「頑張れる」の方が近い。
タイトルづけ、全然うまくないので伝わるかな…
今日は、頑張れる!頑張る!ということについて。
個人的に、ずっと抱えていた劣等感、というか悩みズバリ「頑張れない」。
もう…頑張れないよ…というとは違い、何に対しても関心が低いとか、
こんな事が上手くなりたい!とか、あの人に憧れるとか…
これらは、持つ人は何の疑問も無く感じる”意思””気力”で、持たない人は本当に自然に、もたないものなのです。(私出典)
「あの子もあの子も、人々はいつも人に対し気を遣い、走り、勉強もして、髪もきちんと乾かしてボディケアもして、快活で姿勢よく、家もきれいで家族との関係も良い。」
…なんていう芸当なの?!絶対死ぬでしょ?!這いつくばって生きていて、私と会う時は笑顔を絞り出して帰宅したらぐったりしてるんでしょう…そんなこと私には出来ない。そんなことではいつかガタが来るはずだ。
本当にそう思っていました。今でも少し…皆、本当に凄い。
それで、「取り組む」となれば単に楽しむ~下手だけど皆に会いたいから行く!とか、上位を目指すとかじゃないけどとりあえず居る~うぇ~い帰り飲みいこ~
といった「居かた」が出来ず、出来ない。足手まとい。みんな優しくしてくれるけど、多分惰性で大人の対応をしてくれて、やっぱり試合で勝てない私はこの部活、団体に居てはいけない。
と迷惑ながら本当に辞めたり…何故か知らないけれど、
何でも全力で楽しむ!なタイプではもともと無いくせに、そうで無いじぶんという存在が足手纏いでもはや不思議なくらいでした。どうして自分は、他の子みたいに笑顔でいろんなことが出来ないんだろう。病み期なんかじゃなくて純粋に疑問でした。
これなんかあるのか?みたいな。
(書いている今はちょっと涙出てきた)
***
それで、急に話は進展しますがここ数年、実はかなり「頑張れて」います。
頑張る=have to なイメージだと、頑張れる=can/possible です。(合ってるかな?)
がんばる、というのは何というか、気力の限りを尽くしてどんな不調にもめげず、血管を浮かせながら歯を食いしばり、自分の中の悪魔と戦う ことだと思っていました。
掃除をきちんとしている子→どんなに眠くても義務感で掃除をしてる。
キビキビと動く子→心拍数、私の何倍?
勉強を頑張っている子→だめだ…そんな中に入れない
毎日のルーティンを守る→修行僧か
…たとえが微妙ですが、とにかく彼らの原動力は”義務感”だと思っていたんですね。
ところがいざ「あれ?これ頑張ってるって人からは言われるかな…?」という、
自転車で30キロ走ったり、早朝パンを焼いたり、ストレッチを毎日する、おいしい食事を作る、何時間も同じ課題に向き合う…
こんな事は以前ならまず動機が無いもので、取り組む気配もありませんでした。
が、今実際に自分の興味からやってみると
全然。全然。「頑張ってる」という感覚は無くて、
反対に「ちょっとここまで来たらもうちょっと続けてみるしかないよねこれ…え、25時?ちょっとまとめてまた明日やろ」
みたいな!!興奮!!!何にってこの心情の変化に!!
ふとそれが終わって、「え~なにそれすごいね…」と言われて初めて
あぁあの時私は頑張れていたんだなあ、と思うのです。
よく「継続は力なり」といいますが、ちょっとの時間でも「もう少し折角だから頑張っちゃおうかな!」というエネルギーは、必ずしも努力して出しているわけではないんです。勿論筋トレなんか実際に汗びっしょで…まあ…頑張る、というシチュエーションもありますが、それだって毎度人生辞めたくなるような精神状態なわけではなく、
あくまで終わった後「っしゃ今日昨日より何センチいけたあ~来てる最高来てる明日もやるしかない」的な。おのずと体力もどこからか出て来て、思いもよらない自身の行動が見られたりするんですね。
要するに「楽しい」の感覚。
頑張れない、と自分の事を責めている人にとってはこの「楽しい」の感覚をしっかりと表出させることが、とっても重要じゃないかと思います。
思い返すと私はあんまり爆笑もしない、喜びも薄い、子供ながらに何のために生きているのか判らない…小学生の時の好きな歌手も、なりたい職業も、今日帰ったらこれするぞ!のモチベーションも無くて引っ込み思案で目立ちたくない
習いごとや学業、知的好奇心すべてを他人に預けっぱなしのようなもので
それが十数年経ち、今ではなんでも食べてみたい、これ自分で作れるんじゃないかな?、知らない人と会うのも好き、旅行も知らない土地に急に放り込まれるのもワクワク血が騒いで。必要があれば雨の中自転車で疾走し、旅先で知り合いを作り、
とにかく新しいことに挑戦…というとまた語弊があるのですが
やってみる。できない。うける!超難しい!ちょっと寝る時間消えてもいいや、もうちょっとやってみよ。
っていま自分の楽しんでる時の感情を思い返して、ひたすら自分得な言葉を羅列してしまいました汗
こんな感じなんです!
絶対に断言できる、10年前までの同級生に会ったら体型から驚かれるだろうな、と。
完全にポジティブ人間、パリピ!になったわけじゃ全くないけれど
とりあえずいろんなことに積極的に関われるようになったのかな…と時たま哀愁に浸っています。
頑張る。といういわば呪縛ではなく、自分だけを見て「面白いな」「もう少しこれについて知りたい」という強迫観念抜きの、頑張れている状態は非常に大切です。
人生の中で一度でもこういった自分の「好奇心」を見ることが出来て、良かったなと心より思います。
「店員さんに話しかけられたくない」問題。
トレンドに上がっていました、某面白企画メディアの「店員に話しかけられたらそこで試合終了」という企画。
もうね、わかりみ、というか渋み?^^;しかない。店員経験者としていろんな感情が渦巻く企画となっていました。
店員さん、ちょっと可哀想だったな~汗
↓
↓
じつは私自身、接客経験あり(非アパレル)、「接客中物凄く楽しそうだよね、天職なんじゃない??」と若干あきれられるくらいのお話好きでありながら…
中身は買い物の時は店員さんに話しかけられたくない、美容室でもなるべく静かにしていたい、お店で店員さんが近寄ってくる空気はいち早く察する
という筋金レベル中段者。今だから言う。本当に本当に本当にストレス…!!!
特に最も苦手とするのは「これいいですよね~」系。
あれ、どうすればいいの?良いのかまだ測りかねている段階では「ですよね!とも」「ん~今フラットな状態です」とも言えないし(★そう言ってくれたらくれたで楽なんですよ)
客側になった瞬間「はあ…^^;」とか「そう…なんですかね」とか気まずいオフモードをダダ洩れさせてしまいます。
本当にいいなと思っていても鏡の前で勝手に合わせている時はなるべく話しかけられたくないし、チェックしているポイントがあるのに急に「その服良いよね~買うしかないよね~的買う前提の共感話を続けないといけない」
ここです。気持ちが乗っていなきゃ全く進歩が無くて
つまり何か解決したい場合は良いが、単に商品の素材の良し悪し見ている時や、頭の中で家のコーディネートと合わせて妄想しているとき…店員さんに聞いても正直その商品の
・良いところしか返ってこない
・似合うしか言われない
(言葉にするのが難しいんだけど、たまに商品のデメリットを言ってくれる店員さんが居て、そういう人には自分からすごい話しかけます。家で洗濯難しいよって言われてるのに自分から「まあでもたまの機会ならクリーニングでもいいですよね^^」とか言っちゃったり。)
実際、店員さん自身も無理してるでしょ。検索すれば「上手く話しかけられない」「接客がストレス」のオンパレード。
正直…
良いよ別に!!話しかけなくて!!!
あっ大きくなりすぎた!!
良い意味で。いいのよ、話しかけなくて。
”声掛け”は良いと思う。まだ。(ちょっと苦手だけど)
何かあったら言ってね、っていう。
は~いって返事したら、もうわかったからそれを一回伝えたらもう話しかけなくていいのー!!!
(自分への戒めでもあります…)
何かこの人話したそうだぞっていうのって、一言声聞けば何となくわかるじゃない。
もう「話しかけなくていい」人用の決まり文句を制定したらどうでしょう…。
あとはもう否応なしに(有益な)説明を始めてしまうパターン。とくにカウンセリング的な面が大きい商品の扱いだったので助かりました。本当に。基本的には何らかの問題を抱えているお客さんがいらっしゃるので、「この人にはこれがこれが合うだろう」という見定めをするのに非常に質問がし易かったんです。それで、趣味とか対策など聞いていくうちに共通点が見つかって盛り上がる、みたいなパターン。
これ、お洋服はどうなのかな。私の場面よりもっと広い層の人が来るんだもんね。
だから、とにかく言えること
1.「これいいですよね」を万能フレーズにするのをやめてほしいな…
2.店員自身も特別話しかけたくて話しかけているわけじゃない
です。
***
ちなみに海外の(ヨーロッパ方面)店員さん。
非常に様々だけど
・「お手伝いしますか?」「いえ、見ているだけです^^」終(本当です。リアルに現地語でこの返事覚えて結構使いました。)
・コスメ系はとにかく「腕の振るい所よ!」とばかりにめちゃめちゃ試してくれる
・「あなたの体系は〇型だからこの手のワンピースは太ってみえてしまうから、いっそこうしたほうが良い」的なはっきりアドバイス
・またはひとこといらっしゃいませの後は座って作業
とか。
とりあえず立場が対等、若しくは店員の方が知識の分ちょっと上だぞという感じは立ち姿や口調ですぐに体感します。
店員さんは商品とお客さんを繋ぎ、そしてその方の今後にも役立つ何かを提供してこそだと思うので
上辺の媚びではなくて、ぜひ自分の知識、好きとかこの前見た事とか、そんなことを生き生きと話してくれたら
私もすごく楽しいなあと、感じています。
ね。言われるように「身体的にも精神的にもきつい」在り方を自ら選ばなくていいから。店員がもっと自由になれればいい。
ちょっとずれるけど以前話題になった韓国の
すっごくいいと思うんだ。店員にとってもお客さんにとってもメリットしかない予感。
(上から「なんでもっとお客さんに話しかけないの?!と怒られることも無くなるでしょ)
~終~
★追記
「何故嫌がるお客が多いのに店員は話しかけるのか?→それが仕事だから。話しかけてほしいお客さんも一定数います。また色々とお話することで、店員としての自分や商品の魅力を売り込まなくてはなりません。」
って日本語としての返答になっていません。
①必殺ワード「一定数」「すくなからず」!
別に全く話しかけて欲しい人がいないって言ってるんじゃないのよ。0か100かじゃなくてどちらにも快適に過ごしてもらうにはどうするか?
お店できちんとした統計を取ることも無く「多分居るから」って想像だけを基に「せざるを得ない」なんて結論じゃ、現実と乖離が大きくなるばかり
②「それが仕事だから」
その仕事を嫌がるお客さんが居て、また店員さんも楽しくない。とにかく全店員に全客に対して一律マニュアルで対応させ、それが出来ないと無能認定するのをやめてください。
③「声掛け」と「その後の無意味な時間の押し付け」をごちゃまぜにしない
「あなたの存在を認めています」ということは一度は示すべきだと思います。
しかしそれと「お似合いです~」はお客さんにとって精神的に全然違います。
なんなら最低限は「いらっしゃいませ」だけでも店員とお客さんはお互い認知できますし。
無理することは無いんです。
店員さんが店員としての自分の楽しみや誇りややりがいを
そんなところで失うことがありませんように。
そして一番は客も断るところは普通に断る。うん。それがいい。
「精神的に疲れた」という感覚はなにで感じる?
「精神的に疲れた」って不思議な言葉です。
精神…つまり頭の中で感じていることに直接痛覚などがあるわけではないのに、なぜか言葉に出来るこの疲労。。。
マヂ病み~、みたいのじゃなくて。これ、何なんだろう?
やっぱり一番は「呼吸に来る」かな。
呼吸が浅い、というか息が全部吸えない、吐けない。
同時に、頭の中はいつも何か考えている。何かを決めないといけない時、AかBかだけじゃなくて誰かへの返信もそのひとつ。
ーー話はそれて、私が「返信の遅い時に考えていること」--
私は本当に本当に調子の良い時と下がっている…というか「無」の時の返信スピードの差が著しくて(治したい)、フットワーク軽いモードでは「いいよ、明後日空いてる?」悪いときは「(3日後)ごめん、最近ちょっと忙しくてなかなか…ちゃんと時間が取れたらまた連絡してもいい?涙」という感じです。遅くて無用に気分を害してしまうのですが、何を話せばいいんだろう?色々聞かれたら?なんて断ろう?…で、最終的に「なんでいつも思ったように誘いに乗れないんだろう?という疑問にたどり着きます。
ーーーーーーーーーーーーーーー
とにかく次から次へと「答えの出ない疑問」を考え続けます。
・もしこれをもらって嬉しく無かったら?
・何故じぶんはいつもこうなんだろう?
・あの人のあの表情は何だった?
・会った時、どんな自分(キャラ)でいたら良いんだろう?
・毎回つまらないけど惰性で誘ってくれてるのかな
等。リアルに考えてることです。現実には「かな?」とか「なんだろう?」とかじゃなくて「嬉しく無かったら…(無表情)もし…もしも…だってゴミに…」「何を話せばいいんだろう。自分は楽しい話題を提供できない。どんな私になればいいの(すすり泣き)」みたいな。
よく女子高校生が学園物で「はぁあ~」って溜息をついている場面がありますが、実際は真っ黒ですよ。部屋も真っ暗。その中で「なんで…なんで…?」と頭がフル回転してる図。こわ!!!!今、リアルを暴きましたね。こんな姿してるなんて言いたくないけど、前向きっぽいブログを書く私もこんなだよ、と。
で、つまり「呼吸」と「思考」です。やっぱりただでさえずっと考え続けるなんて通常でもしたくないのにそれをマイナスな事象に限って思いを巡らせ、浅い呼吸になっている。
するとだんだん筋肉が疲れてきます。
姿勢も良くないし、時には歯を食いしばって肩も上がって、猫背でヒーヒーしてるのでもう非常にザ・不健康。
思考パターンがこうなれば、何時でもこのモードに突入します。何ならストレッチしているとき。ウォーキングしているとき。寝起き。
ストレッチしてる時鏡が目に入ってそれからこんな状況になったら体育会系発動、あすの朝後悔して自分がやっぱり駄目だ、なんて思わないくらいにほぐしつくして寝ます。
(なんかこうやって書いてみると病気になりそうねこの人汗)
…という感じでした。
超ストイックな人からすると「精神的に疲れる」という言葉さえ甘えか?みたいな、生理痛は甘え、みたいな考えになるのでしょうが、実際身体的にも明らかに疲労感が出て来てしまう。脳の幸せ物質、ドーパミン?セロトニン?オキシトシン?いろいろあるけれど、それさえ分泌されれば良いならば、24時間投与したい。ね。あえて「ちょっとのストレスはスパイス」とかいう人いたら、私の脳と半分交換しよう。
今日はだいぶ暗い話題のようになってしまいましたが、
「家での悩み方」の一例として何か、悩みがちな人への共感かな、として届けばいいなあと思います。
この記事を読んで下さった方、
明日は一つ、いい人との出会いがありますように^^
〇ミシンの「フットコントローラー」は要る
久しぶり。ほんと気まぐれすぎて、前回も親不知の抜歯について書いたのですが継続して書くのが苦手で、というか結構目次形式で書くのが手間がかかって…
今のところ、最終的に言えるのは「全然元気です」。※一応高熱に苦しみ、入院準備や身辺整理をやらかした程にはもろもろ経験しましたが元気です。2か月くらいは奥歯に痛みはありました。でも現在、元気なので勇気を出し、挑んでください。
そして今日はまた気まぐれながら、ミシンのフットコントローラーの話です。
迷っている人がちらっとでもこの記事を見て下さったら~…!
ミシン購入の際とてもとても迷いました。なんか付属品で無料で付けてくれるんだって、すごいね…と、でも心の中には(そもそも必要なのか?)という疑問が消えない、苦しい状態の方も多いのではと思います。
では。結論です。一言でいうと「必・要」でした(個人の感想です)
私としては…本当に操作が変わります。YouTubeで動画を上げている方にもスイッチのみの方もいます。でも、ミシンを実際に触る前だとその『違い』の重要性も想像できないのですが、縫ってみるとやっぱり全然、ラクです。
①縫い始め
★両手で押さえていられる安心・・・結構縫い始めの瞬間って、生地の端から縫うもので針がきちんと縫うリズムに乗るまでゆらぎやひっかかりがあったりします。そのような不安定な状態こそ両手で布を張っておきたいのですが、ボタンだと当然出来ず…頑張ると左手をピースの形にして踏ん張ったり…出来ないことも無い。
たださあ縫い始めよう!と場所を決めて構えたのに、スタートボタンの場所を右手指でちょっと探さなきゃいけない、神経の無駄遣い感に耐えられませんでした。
②途中
★スピード調整・・・両手を離さず、また止めること無くできるのはとっても大きいです。またスピード調整のダイヤル?も大抵上のはなれたところにあって、、スピードの変わる一瞬に片手でしか出来ないってちょっと不安ですよね。だから大抵縫い途中での変更はしないのでは?フットの場合は一切手の位置を変えず調整が自由なので、ここはまっすぐだからガーッと行こう!と思ったら踏み込んで、怖い時は緩めて一目ずつ、ということも。ほんとうにラク。
③縫い終わり
★止まり・・・ボタンだとやっぱり終わりに近づくにつれいつ手を離すか、どこまで縫えるか…とかすごく神経が散ってきます。そしてまた端に近づいているのに片手にならないといけず、ぴったりのところでボタンを押す様はまるでリズムゲームのようです。疲れる… フットはもう踏み込んでいた足を緩めるだけで否応なしに止まります。最近話題のATとMTの違いのようですね。
★縫い間違った時・・・あっ変なとこ縫った!というときも、私の場合半パニックのときにストップボタンと返し縫ボタンの押し間違いがすごくストレスで。しかもうちのはボタンを押してから少しタイムラグがあって止まるので、止めたのか押せていなくて止まっていないのか判らない、なんて場合非常に…イラッと…今でも覚えているのは「あ”~~フットコントローラー欲しい”!!!!!!」とミシンの前で爆発したことです。
(④返し縫い・・・うちのは縫い進めて返し縫ボタンを押すと、かな?そのまんまのスピードで返し縫が出来るのでとっても気持ちが良いです。ボタンだけだと例え最速でそこまで来ていても、返し縫だけ急にシュン…シュン…シュン…と。な~んでそんなに遅いの~~~という落差に。工業ミシンを使っている超satisfyingなLUUさんという方の動画↓
超ミニマム!!大人のほっそいペンケースPencil case作ってみた
の返し縫のスピード感、半端ないです!!音フェチ。この返し縫遅い問題、検索すると結構見つかりますね。
⑤スピードが出すぎるのが怖い・・・私がジャノメミシンで使っているこれ
ジャノメフットコントローラー1P CX11 RS808 ME830 DC2020 JP210MSE JP310 JN51 JN31用(コンピューター用)
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と私のミシンでは、本体で調節した速度が最速となるので、ゆっくりでいい場合遅めで縫うにしてもやはり、足でON・OFF出来るのはラクです。)
以上、こんな感じです。
欲を出せば工業用ミシンのように返し縫だってボタンじゃなくレバー式が良いな。かっこいいな。
自動糸切りは…まああればそりゃ楽でしょうが、最低限の機能ではありません。あればいいよ?位。それよりフットコントローラーが付けられないなんて方が私には大問題そうです…
とにかく、手・目の動きが減る。全力で縫いたくなります^^素人ですが
Be Wildな感じになります。足の構えが。※個人の感想です。
ということで、検討中の方の参考になればなあ、迷っている方の迷いが早く終わればなとおもいます。
また何か付け加えがあれば書きます。
最後に、ユザワ〇のプライベートブランドミシン?「AgneauD'or Blanc」シリーズは、「アニュドール ブラン」ではなく「アニョドール ブラン」、フランス語で「白い金色の子羊」です。たぶん。ュかョかは綴りの法則で決まっているので、この発音違いは絶対意味が通じなくなっちゃう! アニュだと…Anieux...かな?これなんて意味なんだろう。
埋没親しらず(下) 抜歯経験2本分の1-①
親しらずの抜歯をしました。
結構「抜歯が怖くて放置してます」といった声も多いですね。
私も抜く前後はこれでもかと言うほど検索し尽くし、私も今度は経験者としての立場から、主に心境、痛み方などを書いておこうと思います。
分かる~と共感したりして、今お持ちのその痛みをちょっと和らげられたらと思います。
①状態
・親不知…真横(歯列に向かって)・完全埋没型。
・抜歯前の痛み…全くなし
・顎(口腔内)…小さめ
・歯並び…小さいころは全く気にならなかったのですが、大学生?頃気づけばガタガタに涙
・親不知の虫歯…ゼロ。完全に歯茎の下にあったからか。
本当に痛みが全くなかったので、在るきっかけでレントゲンを撮って、親不知がありますと言われた時は「これがあの伝説の?!」とむしろ感動でした。
②抜歯の検討
先方の結論としては「残すメリットなし」とのこと。
・いつか歯の移植のために必要になるのでは?
・痛みも無いのにこのまま言いなりになって、無駄に抜いてしまっていいのか??
などと疑心暗鬼にもなり…
検索ワード:「親不知 抜歯 勧めてくる」(←)「親不知抜歯 反対」「親不知 抜かない」「親不知 移植」
(痛みに対する不安はほとんどありませんでした。)
対する説明内容は
・歯列の悪化を防げるだろう
そして何より、
・真横なので多少なりとも砕いて取り出さざるを得ない
→骨髄バンクに預けることも、温存して移植に利用することも”不可能”と。そんなことしてても意味ねーよ!と。
そうか…割れてしまったら意味がないのか…(何とか細胞を取り出すとか、活かす手はないのかな?)
「もったいない精神」が最も迷いのタネだったので、これに大きく背中を押され。
抜歯する運びとなりました。
③抜歯まで
「本当に抜いてしまっていいのかな…」という思いもほんの少しありつつ、気づけば当日を迎えていました。前日は一応ちゃんと寝ようと思ったのですが
気になりすぎてなかなか眠れないという本末転倒に汗
抜歯は、こちらは「ただ横たわり口を開ける」のが仕事ですが結構疲れる(顎関節気になる方特に注意!)のでしっかり寝ておいた方が良いのだと思います。
更に出血が止まらないといった場合のため、予約の時間は出来れば早い時間が良いかもしれません。(夜間救急でも可能かもしれませんが)
ここでやっと「抜歯 痛み」「抜歯後 食事」「抜歯後 血が止まらない」「抜歯 痩せる」といった現実的なことを調べ始めました
④当日、シチュエーション
・場所…地元歯科医院(新しめ)
・担当…口腔外科医師 周りの衛生士さん含め元気づけてくださいました。
・所要時間…麻酔から抜歯終了までは30分…くらい?本格的に歯を抜いていたのは10分~15分程度だったでしょうか。
「抜歯後 食事」終わったら昼ご飯どうしよう…ばっかり
Ⅰ:麻酔
表面塗り数分置き、注射にて数回。
正直この抜歯中一番の痛みがここでした。神経に何か注入しているような、伝って奥にぐぐぐぐ~ッと広がっていくような絶叫とまではいかないが不快感の極み、あと5秒続いたら笑いながら挙手してしまいそうな痛みが約3秒ほど。
なにこれなにこれ~!
一瞬なんですが、顔のタオルに大いに感謝。
家に帰ったら「麻酔 味付き」で調べようと(直接聞け)。最近の表面麻酔系は果物の味?香り?が!どこでもそうなのでしょうか。配慮に驚きます…
Ⅱ:割る、抜く
麻酔が効いているか確認し、後は身を任せます。
ウィーン!ゴリッゴリッゴゴゴリゴリ…という音を聴きながら(痛くないので余裕アリ)、自分の口の中を見たくてたまらないながら…感覚は「強く押される」「引っ張られている」。トンカチで割る(どこ情報)なんて方法いまどき無いのでしょうか。
興味が湧き上がってしまって、目をつぶりながら今何をされているのかな…と想像していました。「ゴリゴリ音」、あれは何なのでしょうか?歯茎を切る音?歯を削るにしては抜けた歯の状態がキレイすぎる…
Ⅲ:生還
大丈夫かなコイツという静けさに覆われたまま「とりあえずゆすいでください」の声に我に返り、
口をゆすぐと当然のようにまあまあ赤い。まだそれでも実感はないのですが、
これです^^と3,4つに分かれた立派な「歯」を見て感慨深さに襲われました。
この時ばかりはトレーに横たわる歯が煌々と光を放っていました。
「今までのお魚や牛乳で、このポイされる歯を頑張って作っていたのね…」
あの日の眠気もなにも無い場所でのつまずきも、発表で噛んだ時も、その瞬間まさに「親不知」を建設していたからかもしれない。
ごめんね、そしてありがとう。という気持ちになります。
こうしてひとまず、人生初の親不知抜歯が終了しました。
※顎関節症気味な辛さ
小さいころから顎の骨をかくかく言わせてちょっと遊んでいたためか、頬杖癖のためか…顎を開ける時やあくびの際たまにちょっとずらさないといけないような感じだったのですが、
なんとこの抜歯で大いに影響し、口を開けていることが死ぬほど疲れました。
そちらがかなり辛かったです汗
そのおかげで術時間が1時間くらいに感じられました。
外部刺激的な痛みというより筋肉の疲れ、何というか筋トレとも違うのです…
その瞬間は、疲れたなんてもんじゃありません。台をバンバン叩きたい。だんだんイライラしてくるんですね、変な痛みに耐えていると涙
後日まだ少し影響をのこすので、引き続き次の記事でも触れようと思います。
(②に続きます)
「好きなことをしたい」
「俺は好きなことだけやって生きていたいんだよ!!」
「好きなことを仕事にしたいのですが…」
…
好きなこと、というものは大小様々。
場所も、必要なものも、朝起きてすぐ出来るものから一生かかっても
実現しないかもしれないものまで。
私もそんな「好きなこと」を、思いのままに行動に移すのが苦手です。
ただしそれは将来の夢や展望に限ったことではなく、
たった今決断を迫られていることや
明日何する?今晩何する?
程度の話です。
「生きにくそうな奴やな~^^;」
その通り、非常に一つ一つのことがしづらいです。
今日は同じような方の参考・励み…になればと思い、書いてみようと思います。
好きなことが出来ない。やりたいことをしたい。
「好きなことがわからない」ではないんです。してはいけない気がする、そんな感じ。
生い立ちとしては、
★物心つく前
何が、どこが、〇〇だからなどとは考える以前に「走るのが好き」「泳ぐのが好き」本能のままに好きなように動いていました。
★小学生~高校生(まとめすぎ)
この頃の自分の好きなことが本当に曖昧で…どこに行きたい、何を食べたい、きゃーおいしい!!なにこれ、生きててよかった涙
…これは今の自分です。
この頃は「知りたい」「行きたい」「会いたい」こういった欲求、それに伴う歓び悦びがあったのかなかったのか…
いいよ。が口癖。笑ってるだけ。なんか最近反抗してきてムカつく。
今思い出しても悲しくなってきます。お前何があった。
良くも悪くも都合のいい子でしたね。
そしてこの年頃が自分の中の黒歴史…というのか?黒い時代です。
その時考えていたのは「自分は好かれているか、どう思われているのか」ということでした。部活にも入っていたけど一度も家で練習したことなし、調べようとしたこともなし、、誰かに語りたいくらい!!!本当、すごかったですよ!
何を上手くなりたいとか、食べたいとか、あれのために頑張ろう、学びたい、やっとテスト終わったので〇〇できる~!!やだ~会いたかった~!感動した~!
これ、普通の日常ですよね。本当にありがたいことなんです。こういう「感情」がでてくることは。
★大学
入学時はなんの希望(望み)も無かったので「…特にやりたいことないし」
(ーーー訪れる転機ーーー)
途中で留学をして…変わって帰ってきました。
とりあえずアジア行けば変わるよ?なんてものじゃありませんよ。
①好きなものが分かる(コレクター気質に)
②行きたい場所がある
③会いたい人が居る
④知りたいものがある
⑤太った()
これだけで、本当に人生が充実したものになりました。
人と話すのが、新しい人と会うのがこんなに楽しいなんて!!!
町を歩くのがこんなに楽しい!これが自分の体なんだ!
嬉しい、幸せ、ありがとうございました!!
こんな感じに。
きっかけとしてはいろいろあります。
良いことも、良いばかりではないこともちょうどタイミングが重なって、今まで常に離れたところにあった魂が体に入ったような変化でした。
何より言われて衝撃だったのが「意識なかったよね?」「ふわふわっとしててこの子大丈夫かなと思っていたけど、なんだか変ったわねえ^^」
やっぱり変化はあったんだなと思いました。特に前者は非常に的を得ていて、意識はあってもいつも自分の中に押しとどめて他人のことばかり考えていました。
「あの人はこう考えている」「あの人と誰が仲がいい」「あの人は私が苦手だろう」…いつも周りの人間関係ばかりで頭がいっぱいでした。
これでは自分の欲求の出てくる隙がありません。
優しいだとかは言われていましたが、自分としては嬉しいわけでもなく何も考えていないだけなので特に感想はありません。
今でもあの人は…と考えてしまう癖はありますが、少なくとも同時に自分の会いたい人、ご飯に行きたい人、話してみたい人、どうでもいい人はなんとなくわかるようになってきました。
今現在は、このような感じです。
そして今度は、題の「好きなことをしたい」について。
したいことはわかりました。でも、直後に「良いのかな?」という規制が生まれるのです。
人とご飯にいっちゃいけない気がする
一緒に旅行に行っちゃいけない気がする
はしゃいではいけない気がする、じぶんは静かな子なんだから
愚痴を言ってはいけない気がする
夢を持ってはいけない気がする、どうせやりとげられるわけないんだから
テンションが上がっているのは自分のキャラじゃない
楽しそうに話してはいけない気がする
冗談を言っても笑ってくれないだろう
話しかけたら迷惑だろう
何かに優れていてはいけない
気が付けばこんなことばかり頭に浮かんでしまいます。
一見そんな複雑なことを考えているようには見えないと思います。
自信がありそうだとすら言われたこともあります。
自分の喜ぶことや好きなこと、耳や口が体がよろこぶものを知った点はかなり外見にも影響したでしょう。
ただすこし話してみれば自身のなさや緊張が露呈してゆくので、すぐに人なめられたり邪険にされたりされ(ていると感じてしまい)ます。まだまだですね…いつも心の底では嫌われる可能性を捨てられないのです。そしてそのことを自分でもよくわかってて、完全に受け入れられないので余計に違和感を醸し出してしまうのだと思います。
つまり、自分の欲のままに動いたら何と思われるかわからないから
できない。自分はすぐ家に帰らなければいけない。
友達と楽しく遊ぶなんて自分のキャラではない…
疲れますね^^;自分でも不思議です…
反動で人にはしたいことをしなといってしまうのも
あなたならその夢もとても似合うと言ってしまうのも
本心ですが、もしかしたら自分が一番言ってほしいのかもしれないですね。
特に解決策も無く、長々と書いてしまいましたが
なんだか苦しいなと得体のしれないものを抱えている方、
理由もわからず閉塞感に包まれてしまう方
こんな人間が居るよと、何らかのヒントになればいいなと思います。
こんなでも「楽しそう」「楽しむのがうまい」といわれますので、
いつかこれが本当の心からの自分になれることを祈って。
楽しめるような機会には心から自分の感情を味わえるように、心がけていきたいです。
「最近の若者」について、最近の若者より。 ※長文
責任感、忍耐、意欲が無い、前に出ない。。。
よくささやかれることです。
最近の若者、について、どう思いますか?
どんなお考えをお持ちでしょうか。
そして先輩方、ご自身の時代を振り返るとそこにはどんな風景がありましたか?
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
思うこと。
若者、優しすぎる。
若者、まじめすぎる。
まだ若者の私ですら、ふと心配になるほどだ。
最近の~というのは主に企業内での話であって、不思議と年齢に大差ない学生時代には、特定の「文句」を耳にしない。
皆最低限「普通」に「問題なく」終えるべく日々の努力をしている。
社会に出た途端に責められ始める。そのギャップが大きすぎる。
昔は例えば運動をおこしたり、反社会的な歌を歌ったり、ということを10代からしていたよう。
一方問題に対して「社会問題といわれる行動」を起こさず、小学校時代よりとかく教師のいう事を聞き、厳密な回答以外を否とする算数に頭を悩ませ、家に帰ればせいぜい話す大人は親位であり、外遊びにも制限多く、、
こんな条件を羅列しただけでもどんな人間が出来上がるか想像も容易い。
そんな風にして自由の翼を一枚一枚抜かれながら過ごしているのに、
彼らは優しい。色眼鏡なしに、あらゆることにまじめに取り組む。
試しに例を出すと(くだらないかもしれないが)
①合唱コンクールや運動会の為の朝・放課後練習に来ない男子学生を男子学生が説教(マジ切れ)
②高校卒業式後の飲酒など、選択肢にすら入っていない
③修学旅行で男女問題なし、普段の学生生活でも「更衣室が」なんて話は聞いたことが無い
④けがをしてきたと思えば、自転車でこけた、自転車に足を挟まれた、、、
もっと皆に誠実でありたかったと後悔にやまない、これらは全て単なるイチ公立学校での風景です。
今まで「最近の若者はなんだ」と言いがちだった方、
逆に心配になりませんか。私は今こうして学生生活を見返して、少し「キレイすぎるな」という感想です。
潔癖であること、完璧であること、一つの答えを導かなければならないこと。
時代は、世論は「多様性」を叫ぶのに
反して教育の現場は未だに、声に出さず「こうであれ」と囁き、
またそれを無抵抗に受け止める生徒たちの存在があります。
少し反抗的であってもあくまで周囲の人間に対するモノ、社会を憂いたり情勢に一石投じるようなものとは方向が違います。
子供たちが突然変わったのではありません。
子供を大きくする環境が変わったのです。
子供たちの意欲がなくなったのではありません。
気力の使い道が変わったのです。あるいは何としても生きようとする意志の、育つ余地が少なかった。
ただし若者がすぐに辞めてしまう現状に関しては、強く同意します。
しかしその兆候は、研修時代からでしたか?誠実に取り組みそうだから、採用したのですよね。
恐らく最初は背筋をピンと伸ばし緊張した面持ち、「ハイッ、ハイッ」と過剰なほどの相槌を打つ姿が在ったのではないでしょうか。
それが何故、何も相談せず仕事を抱えたまま、出社しなくなってしまうのか
不可解なことでしょう。大変な迷惑にもなります。
結論として言いたいことは、
最近の若者は劣っているわけではありません。
怠けているわけでも、何も考えていないわけでもありません。
今までの根性論に対してあまりに繊細すぎる、のでしょうか。
きっとその子に合った活き方はあります。
ただ自信がありません。
役に立ちたいとは思うけど、どんな形でなら役立てるのかわからない。
もはや異文化を持つ違う人種とし接し方を変える、と良いのかもしれません。
その為に冗談ではなく「何を考えているのか」聞き出すことも助けになるでしょう。
実は日々気を付けていることは何か、どんな時に喜びを感じるのか、苦手なことは何か、等。
己の内面は、外に出しつつ吸収し直しつつメンテナンスを加えて「自分」というものに作り上げていきますが、本来それは思春期と呼ばれる時期に躍進するモノでしょう。
情報にあふれながら行動できない自分の無力さを呪い、
規則には洩れんとする学生時代を送ってしまったアイデンティティは、もはやカオスです。
※私事です
自主や挑戦力のなさ、、もう社会問題ですね。
自ら起こさずとも存在自体を現象としてしまう。
最終的結論として、
怒りの矛先をひと息に「人格」へ向けないでください。
なぜこうもストレスに弱いのかと藁にも縋る思いであるのは、他でもない彼らでしょうから。